原作本のある映画

原作本を映像化するのは成功もあり失敗もありで、結果など個人個人でかなり違うのではと思います。中には自分の心の中の登場人物達への思い入れに幻滅しないために、恐くて実は映像化された作品を見ることができない、という状態もあります。

映像が先でノヴェライズされたのは後知恵で補足されている例が多いから許せるとして。
思い入れの激しい作品ほど、映像を見ることができないのは、ちょっと自分でも行き過ぎでしょうと思います。

最近見た「アイ・ロボット」がそうです。SF小説家アシモフ原作。ロボット3原則とか嵌っていた私。青春の一ページ。
中のエッセンスがばらばらに解体されジグソーパズルのように組み直されていました。おいおい。
全く違う作品です。

これがアシモフの作品と思わなければ、OKなんです。それなりのアクション。差別化。CG。良いできだと思います。

逆に「顔」というドラマから入った横山秀夫「顔」。原作の暗い真面目な感じをヒロインで表しつつもオダギリジョーは一体なんだったの?と本を見て考えました。それともD県警シリーズの他の物に彼の役の萌芽が存在するのかしら。もっと読んでみよう。

「半落ち」これは映像を見ただけ。まだ原作まで行き着いていません。元はどんな感じなんだろうか?興味倍増。これは本を知らないから言えることかも

「アズカバンの囚人」言わずと知れたハリー・ポッター物。これは原作を読んだ後の映像鑑賞。この評価は下の子と私とでは微妙に異なります。子どもは中の話の進み方が速過ぎて原作の良さが目茶目茶という。私は、速いからしまっているのではと思います。ごめんね。ハリーにはあまり思い入れないから。ロンだけに注目しているので。

それに映画の中のハリーの描き方が気になります。「バック・ツー・ザ・フューチャー」でのマーティの描かれ方で一貫していたのが「チキン(臆病者)」と言われると切れてトンでもないことが起こって、ドミノ倒しのように後始末に追われるんでしたよね。最終話でマーティはようやく「チキン」といわれてもクールにバックできる大人になってハッピーエンドでした。

ハリーも、すぐに癇癪を起こし、その切れ方が凄くて、いつもアンハッピーな状況に置かれます。こうしたことが各話に共通すると。最後はハリーも大人になって癇癪を抑えて我慢できるようになって「お・わ・り」??!かと思ってしまう。そういう単純なものになるのかしら。不安だ。

そして、実はまだ見ることができない最大の映像。「ハウルの動く城」大好きな作家のダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品。そして大好きな宮崎駿。これだけで見てもいいのに。しかし恐くて見られない。どっちもすきだって事は、どちら側からも幻滅するという2倍の危険が・・・。

見ると思うけど。・・・。やっぱりまるで違うものなんでしょうね。アイ,ロボット
アイ

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック